歩くことは、運動ではない。世界を感じることだ
「歩く」とは何でしょうか?
トレッドミルの上を歩くことに、私は強い違和感があります。
もちろん、汗はかくでしょう。
時間も測れるでしょう。
距離も表示されるでしょう。
カロリーも出るでしょう。
けれど、それは本当に「歩いている」と言えるのでしょうか。
私が言いたいのは、運動量の話ではありません。
何分歩いたとか、何キロ歩いたとか、何カロリー消費したとか、そういう数字の話でもありません。
人間が、人間として歩くとはどういうことなのか。
そこを考えたとき、トレッドミルの上で歩くことは、あまりにも無機質です。
歩くことは、世界とつながること
本来、歩くという行為には、もっと多くのものが含まれています。
- 太陽の光を浴びる
- 外の空気を吸う
- 風を肌で感じる
- 季節の匂いに気づく
- 花や草木の香りを感じる
- 地面の硬さや柔らかさを足裏で受け取る
- 小さな凸凹に身体が反応する
- 坂道で呼吸が変わる
- 人の気配や街の音を感じながら歩く
それらすべてが、「歩く」ということです。
つまり、歩くとは単に脚を前後に動かすことではありません。
歩くとは、身体が世界と関係することなのです。
トレッドミルでは失われる身体の感覚
しかし、トレッドミルではその多くが失われます。
床は均一。
空気は管理されている。
風はない。
匂いもない。
季節もない。
地面の凸凹もない。
景色も変わらない。
そこにあるのは、世界との接触ではなく、数字で管理された運動です。
「何分歩いた」
「何キロ歩いた」
「何カロリー消費した」
そうやって、身体を使った気になっている。
でも実際には、身体は世界に触れていない。
私はそこに、現代人の身体性の喪失を感じます。
人間の身体は環境から学んでいる
本来なら、
自宅から駅まで歩けばいい。
少し遠回りして歩けばいい。
買い物に歩いて行けばいい。
公園や土の上を歩けばいい。
坂道を歩けばいい。
季節を感じながら歩けばいい。
それだけで、身体は十分に多くの情報を受け取ります。
足裏は地面を読みます。
足首は微調整します。
膝や股関節は環境に合わせて動きます。
呼吸は空気に反応します。
皮膚は風や温度を感じます。
目や耳は周囲の変化を捉えます。
それが人間の身体です。
身体は世界の中で育つ
人間の身体は、本来、自然や環境と切り離されて存在しているものではありません。
身体は、世界の中にあります。
世界と触れ合いながら、身体は育ちます。
ところが現代は、便利さや効率の名のもとに、身体をどんどん無機質な空間へ閉じ込めています。
歩くことさえ、機械の上で行う。
自然の中で身体を使うことより、数字で管理することを優先する。
身体が何を感じているかより、画面に何と表示されているかを気にする。
私は、これは人間本来の身体性を少しずつ失わせてしまうことにつながるのではないかと感じています。
人間らしく歩くということ
歩くことは、運動ではありません。
歩くことは、世界を感じることです。
太陽の光。
空気。
風。
花や草木の匂い。
地面の凸凹。
季節の変化。
それらを身体で受け取りながら、自分の足で前へ進む。
そこに、人間としての身体があります。
Bonesからのメッセージ
トレッドミルには、天候に左右されず、安全に歩けるという利点があります。その価値を否定するものではありません。
しかし、もし歩く時間を選べるのであれば、ときには外へ出てみてください。
風を感じ、空を見上げ、足裏で地面を感じながら歩くことで、身体は運動だけでは得られない多くの刺激を受け取ります。
人間の身体を取り戻すためには、まず世界の中を歩くこと。
それが、Bonesが大切にしている「身体との向き合い方」です。

